私がメシアン先生の曲に興味を持ち始めたのは高校に入った頃でした。「幼な児イエスへの20のまなざし」や「鳥のカタログ」のヨーロッパウグイスなどをラジオ等で聴きましたが、とても不思議な音色で、何か神秘的な感じがしました。ラジオで流れている曲を実際奏でるとどんな感じだろうと思って楽譜を買いに行き、「幼な子イエスに注ぐ20の眼差し」の第8曲などを弾いてみました。弾いてみるとなかなか難しく手に負えない感じでしたが、作品の素晴らしさや独特の響きなどに興味が湧き、フランス留学への思いのひとつとなっていきました。
1975年20歳でフランスに渡り、パリ・コンセルヴァトワールで3年間メシアン先生の作曲の授業を受けました。当時、メシアン先生は67歳でアッシジ聖フランチェスコの作曲を始められた頃で、威厳に満ちていて風格があり、口数は少なかったですが言葉に重みのある方だと思いました。先生の授業は週に2回、4時間ほどで、楽曲分析や私たち生徒が作曲した作品の指導が主な内容でした。楽曲分析は先生が当時オペラの作曲中だったこともあり、ベルクの「ヴォツエック」、「ルル」、ワーグナーなどのオペラが多かったのですが、先生がお好きなドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」や、バッハ以前の作曲家からクセナキス、それより若い作曲家など、非常に幅広い年代の作曲家を取り上げられ、たまにご自身が作曲された「七つの俳諧」、「神の現存の三つの小典礼」なども分析されました。その他にも、クセナキスとの公開討論会があったり、大学2年の時には、ブーレーズが率いるアンサンブル・アンテルコンタンポランを招いての公開レクチャーで、私が作曲した作品を演奏してもらえるという、メシアン先生のご助力による、贅沢で他ではありえない体験もさせていただきました。
留学した翌年1976年にオリヴィエ・メシアン国際コンクールに出場しました。これは1971年から始まりラロッシュで行われた、現代音楽のための国際コンクールです。課題曲は、予選ではドビュッシーやバルトークの練習曲、ベートーベンのソナタ、アルベニスの「イベリア」があり、次はメシアン、ブーレーズ、シュトックハウゼン、クセナキスなどで、ジル・トランブレーの曲は新作もありました。本選ではブークレシュリエフの「アルシュペル ピアノと6人の打楽器奏者のために」をストラスブルグのパーカッションと演奏し、第 2 位( 1 位なし)でした。その時先生は別荘にいらして、先生から珍しくコンクール事務局に結果を聞く電話があったそうです。
今回演奏する「幼子イエスへの20のまなざし」について先生に学んだことはあまりに多く全てを語るのは困難ではありますが、そのうちの何点かについてお話したいと思います。
この曲は第二次世界大戦でパリが解放された翌年の1945年3月26日に初演されたもので、第一期最後の代表作です。イヴォンヌ・ロリオ先生は、この曲がなかったらそれから後の20世紀のピアノ作品は続かなかった、とよくおっしゃっていました。作曲という点では斬新かつ古典的ですが、ピアノの使い方としては他の作曲家が未だかつて試みていない現代的書法があるからです。作曲面では古典的要素をもち、曲の精神であるピアノという点で現代的という、両方を持ち合わせた作品であることが世界的に支持され、愛されている理由の一つだと思います。
もっと具体的に作曲的な見地から言えば、リズムと旋法の組み合わせには先生特有の神秘性があります。リズムに関して、先生は並々ならぬ関心がおありで、ルデュック社から出版されている、『Traite de rythme, de couleur et d'ornithologie; en sept tomes」(リズム、色彩と鳥類学の概論;全7巻)』などに詳しく書かれています。例えば、アップビートからダウンビートに移行する時ですが、本には多くのリズムに関しての素晴らしい記載があります。しかし、私は幸いにも先生から直接教えて頂ける機会に恵まれました。ピアノを弾きながら解説を聞く事は先生の特徴的な移行の瞬間を非常に理解しやすくし、得るものも多かったと思います。
また、音楽史については古代インドのリズムや旋法など、普段なかなか触れられないような事項について、詳しい解説をしていただけました。そのような様々な奥深いバックグラウンドがあり、この曲が作曲されているため、曲のコントラストが素晴らしく、ステンドグラスに差し込む光が刻々と変化していく様を見事にとらえた色彩感が加わり、非常に長時間の曲であるにもかかわらず、精神を持続し続けられる作品となっていると思います。
演奏については、私が留学した当時はまだ今のように多くの人が先生の曲に親しむ土壌がなく、それ故に限られた人間が、生きている作曲家との臨場感やエネルギーを共有できた事は素晴らしかったです。先生に直接指導いただけることもあり、今もよく覚えているのは、同じフォルテッシモの表示があったとしても、その意味を考え、美しい響きでよくコントロールし、むやみにやたらに強い音を弾くべきでない、また、ピアニッシモは神秘性を損なわないように注意するように、と繰り返しおっしゃっていました。そして、この曲を弾くたびに初心に戻るべきで、ここでいう初心とは宗教性であり、ステンドグラスに象徴される色彩感や音の響きを感じることを大切にしていかなくてはならないのです。
私はこの作品全曲を15年前の1994年のクリスマス・イブに演奏し、同時期にCDも出しています。当時は勢いで弾いていたところもあったかと思いますが、今は時空間を大切にする気持ちが強くなっていると思います。例えばフェルマータの中身を変えていくような・・・フェルマータ、つまり停留音とは、音の長さを単に倍にするという物理的な意味のみではなく、音を停留させ、響きをどのように耳に入れ体に浸透させていき、次の音に繋げるのかを考えるべきものだと思います。空間へのアプローチである響きは、今回は東京文化会館小ホールなので、何度も演奏していますから、計算は比較的しやすいと思います。一番の理想はステンドガラスのような音の色彩感が万華鏡の映像のように、響きと響きが循環する感じが出ることです。
最後に私は音楽というものは総合芸術であるべきだと思っています。総合芸術と言うとオペラを思い浮かべる方も多いかと思われますが、確かにオペラは総合芸術ではありますが、私の言う音楽とはもっと広義であります。ピアノであれ、バイオリンであれ、音楽とは、時に絵画であり、ダンス、バレエであり、歌劇であり、文学であり、様々な要素を常に含んでおり、またその要素は互いに影響し、インスピレーションを与えてくれるものだと考えています。
皆様に私のピアノを通じて、音のみならず、そのようなインスピレーションをいくらかでも感じて頂ければ幸いです。【談】
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