19世紀のフランスを代表する詩人に、ボードレールやヴェルレーヌ、マラルメらが挙げられます。特にヴェルレーヌの詩は音楽との関係が深く、フォーレやドビュッシーが多くの歌曲を書いています。詩には詩法があり、韻律、イントネーションやアクセントが規定されています。各言語の性質により詩法は異なりますが、フランス語では韻を踏むこと、子音と母音のリズム、母音の発音の色彩感が重要となっています。
今回取り上げたフォーレを代表とするフランス音楽はフランス語の美感、アクセントと強く結びついています。音楽にも韻を踏むような形式があり、音や和音が曲と曲の繋がりや、曲集としての一体感、リズム感を生み出しています。詩と音楽とはこのように非常に密接な関係があり、どちらも音により色彩感を出しています。
“ut pictura poesis”はラテン語で、古代ローマの詩人ホラティウスの「詩論」に出てきた一文です。私は詩と音楽と絵と言うのは密接に関係していると思っており、音楽を通じて、詩的で、絵画的なインスピレーションを届けたいと思っています。
1987年に十勝ひろびろ音楽祭に招かれ、96年からは音楽監督に就任していたため、十勝地方、特に中札内村にはよく行っていました。十勝空港着陸前に機内の窓から地上をみると、眼下には美しい十勝平野や札内川が広がっていました。
空港からすぐの距離に中札内村はあります。村には様々な美術館があり、そこで音楽会を開催したことがあります。どの美術館も内外ともに美しく管理されており、庭には様々な種類の木々や草花がまるで絨毯のように敷き詰められていました。中札内村の空はとても綺麗で、遮るものがなく広がっています。空に反映する中札内村の風景や札内川、大雪山など、あらゆる景色が空に投影される曲を書きたくてこの曲を作りました。
フォーレの夜想曲は全13曲で、フォーレが1883年頃から1921年頃にかけての約40年の長期に渡り作曲されました。第2番はポール・デュカスが好んでいたそうです。フォーレの夜想曲の和声の繋がりは、まるで詩のついてない歌のようで、無言歌のようにも思えるし、6番の主題の完全4度などは詩の韻にあたり、あたかもヴェルレーヌの詩のように韻を紡いでいきます。
私は2000年にベーゼンドルファーを使用して、夜想曲全曲を録音しました。そのピアノはウィーンから運ばれたばかりのまっさらな状態で、ウィーンの香り高いものでした。ベーゼンドルファーは鍵盤の返りが独特で、それを熟知したうえでタッチを調整していかないと、本来の持ち味の音色が出ません。ですが、それはとてもいいところだと私は思っています。
今回はヤマハのCFXで演奏します。私がCFXに初めて出会ったのは2012年で、ドビュッシーの子供の領分を弾きました。すごく反応がいい楽器で驚きました。これは夜想曲全曲に言えることですが、 mp、p、ppが多用され、弱音の中で旋律と伴奏、内声のバランスをとらなくてはならない難しさがあります。CFXはppからpへの音量を3段階、pからmpまでも3段階と、各段階を3段階に安定的に引き分けることが可能なのです。このことは陰影を付けるのにとても有利に働きますし、声部の弾きわけが極めて立体的になります。
私がパリでメシアンの指導を受けていた頃、武満さんが2、3度授業に遊びにいらしたことがありました。武満さんはメシアンの事を大変尊敬しており、メシアンも武満さんの事を偉大な才能の方だと最大限に評価していました。
1985年にメシアンが京都賞を受賞した時、武満さんは、「自分はメシアンがいるから作曲家になれたし、メシアンがいるから作曲を続けられており、大変感謝している。コンセルバトワールで直接メシアンの指導を受けることはなかったけれど、自分はメシアンのことを先生だと思っている。」という趣旨の祝辞を述べられました。このスピーチに私は大変感銘を受けました。
「遮られない休息」は1952年から59年にかけて、滝口修造の詩集「妖精の距離」のなかの同名の詩をイメージして作曲されました。作品のイメージを音にすることは昔からありますが、この曲自体の音楽語法は当時にしては大変進んだもので、ご自身の言葉で、とても深く表現した作品です。
「閉じた目」は1979年に滝口修造の追悼のために作曲されました。標題の「閉じた目」は私の好きなオディロン・ルドンの絵画からとられています。追悼のための曲ではありますが、闇を連想させるものではなく、ソステヌートペダルが多用され、倍音と美しいラインの交差がとても美しい曲です。
1983年1月 東京文化会館にて
「雨の樹」の世界初演のリハーサル
1975年頃 メシアンクラス
ポール・デュカスは2015年に生誕150年を迎えます。メシアンの師ですから、私の先生の先生です。メシアンはデュカスのことを、芸術家として素晴らしく、教育者としても熱心な方で、大変人間味溢れる方だと授業で話しておられました。メシアンの初期の作品で1932年に作曲された主題と変奏にはデュカスの影響があると私は思います。
ラモーの主題自体は分かり易く簡潔ですが、曲全体としては私たちにデュカスが主題と全く異なる音楽を次から次へと提供してくれるように思えます。しかしそれは、ラモーの主題をデュカスが様々な角度から見て構築したものであって、よくよく見てみると主題が敷衍(ふえん)されています。
この曲はベートーヴェンの作品の後期の3つのソナタ、第30番から第32番を彷彿させることから、ベートーヴェンに対する尊敬の念が感じられるのと同時に、ベートーヴェンの精神に相通じるところがみられます。また、ベートーヴェンの作品のディアベリ変奏曲は、ベートーヴェンがディアベリの主題を使って変奏することにより、最終的には彼の心の深いところが表現されます。この曲では間奏曲においてデュカスの心情が表現されていると思います。私たちはデュカスを通じて、ベートーヴェンの精神を感じ、普遍的な感動を得ることができるのです。フィナーレは華やかで神秘的で、祈るようなところがありますが、音楽史からみると、主題の一部に六音音階を使っています。ラモーより以前の時代の音楽を掘り下げて、フィナーレで再構築されたことは、偉大なことだと思います。
音色については、私の専らの研究テーマですが、その中でも昨年の録音から特にレガートについての研究に力を入れています。レガートは曲の情感を左右します。透明感のある音色で、滑らかなレガートを作るのには必要な要素がいくつかあると思います。
ひとつには、レガートを作れる楽器があることです。私の主観ですが、CFシリーズを比較してみると、CFからCFⅢになると、音が良く出るようになり、CFⅢからCFⅢSになると、音色が美しくなりました。CFⅢSからCFXになると、弱音と強音それぞれのグラデーションが極めてつけやすくなり、最弱音、弱音、強音、最強音までに18種類ぐらいの段階がつけられるようになりました。また、はっきりした音と中間色という音色の変化も格段に増え、レガートも非常にかけやすくなりました。
また、調律師さんの技が必要不可欠です。特に重要なのは低音から中音域、中音域から高音域への移行が円滑である事。低音を礎とした倍音に音を乗せますが、乗せる音が絶妙である事です。レガートには音程、倍音を整える調律と鍵盤をそろえる整調がとても大切なのです。
そしてレガートを作りたいという演奏家の強い気持ちです。CFXは音の強弱、音色の違いがつけやすいので、立体感が深く作れ、可能性がとても広がります。音を選択する自由が生まれ、相応しい音色を追求できる贅沢さがあります。その過程でピアノと私が呼応し、より深い情感を乗せていくことができます。
CFXをリサイタルで使うのは私にとって新たな試みです。さまざまな試みが勉強になり、その積み重ねが芸術へ昇華すると私は思っています。2015年1月5日のリサイタルの前日に私は還暦を迎えます。この節目の年に日本製の楽器で、東京文化会館でのリサイタル、レコーディング、浜離宮ホールでのリサイタルができることを、日本人として誇りに思っています。【談】
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