響きの原点~点と線が織りなす所在~

バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻第11番 ヘ長調 F Dur BWV880

最初にバッハを選んだのは、ドビュッシーとの音楽的な繋がりもありますが、この度の地震で被災された方、亡くなられた方へ捧げたいと思ったからです。この曲は平和を祈るような前奏曲と心が躍動するようなフーガの明るいリズムから成り、生きる希望に溢れている曲だと思います。今回の震災は生きる意義さえ見失いそうな凄まじいものでありました。それ故に私にとっては生かされている意味をいま一度見つめ直すきっかけとなったように思えます。明日の自分は分からないし、何十年後の自分も分からない、いつ死ぬかも分からない。だからこそ、私は生かされているうちに努力することが幸せなのではないかと再認識しました。

2011年1月5日 リハーサルにて
(写真:相田憲克)

ドビュッシー:子供の領分

ドビュッシーの“子供の領分”はシューマンの“子供の情景”とタイトルとコンセプトが似ているため、よく比較されます。シューマンの“子供の情景”は大人が子供のことを考えた大人の音楽で、ドビュッシーの“子供の領分”は自分自身が子供になって、子供の目線でみた音楽であるという説が昔からありました。しかし、私はいずれの曲も、大人が考えた子供の時代の曲だと思います。

シューマンの方は大人が子供時代を思い出している感がありますが、ドビュッシーは子供が見る夢を、その時の大人が見る夢と一体化している。つまり子供の人生の延長線上にいまの自分の人生があるという対等な扱い方、もしくはそれ以上で、子供であることが大人より高い次元に置かれているように思います。ドビュッシーは子供のもつ豊かな感性を持ったまま、大人になれた類稀な方だと思います。

ドビュッシー:レントより遅く

もともとピアノ独奏曲ですが、最近は編曲で弾かれることが多くなっています。ピアノ曲としては旋律が多く、ヴァイオリンであれば、上声部をそのまま弾くことができるためです。

今回演奏するドビュッシーの曲はいずれも彼の本質ではありますが、“レントより遅く”のような曲の場合は、作曲家が旋律的な曲を書くことを演じているふしが感じられます。作曲家が演じている曲を演奏家がどのように演じたらいいのでしょうか?それはなるべく演じていないふりをして演じること、演じていることを表面に出さないことが大切だと思います。

1979年6月 メシアンと

湯浅譲二:内触覚的宇宙 II

湯浅譲二さんはほぼ独学で作曲の勉強をされた方で、童謡の“走れ超特急”やNHKの大河ドラマのテーマ曲、今回のような現代音楽とそのレパートリーは幅広く、非凡で多彩な才能を持つ方です。私の師であるメシアンは湯浅さんを大変評価され、武満徹さんなどとともに日本を代表する音楽家として授業に取り上げてくださいました。

“内触覚的宇宙 II”は1986年に作曲されました。鐘が鳴る時の倍音のイメージのスタイルはドビュッシーからメシアン、メシアンから湯浅さんへと受け継がれているように思えますが、この曲は湯浅さん独特の部分が多く、この時代の曲のスタイルを徹底的に研究したものだと思います。この曲の響きには無駄がなく、12の音に命を与えつつピアノの音がずっと湯浅さんの宇宙のなかで響きあう曲です。現代音楽が分からなくても没頭できる美しい響きがあります。

ドビュッシー:12の練習曲

この曲は作曲家自身による運指がありません。そもそも運指はどのように考えるのでしょうか?まずは、手の大きさの問題があります。日本人の手は大きくないので、その良さと難しさの両方を考えなければなりません。私は30代前半に春秋社から出版されているフォーレ全集の運指を日本人の平均的な手のサイズに合わせて書きました。指導経験上、それでも手が小さくて書いた運指通りでは難しい場合があり、その都度アレンジをしてきました。運指は弾きやすくすることに重きが置かれますが、それ以上に響きを美しくすることを考えねばなりません。ドビュッシーが考えた響きはどういうものだったのか、それを演奏者自身に探らせることが、運指を書かなかった意図の一つであるように思えます。

ドビュッシーのピアノのための12の練習曲はフランス語でDouze Etudes pour pianoです。エチュード(Etudes)は日本語では練習と訳されますが、原語では研究・勉強の意味を含みます。ここでのエチュードとは響きの研究であると思います。ドビュッシーがこの曲を書いた時期は第一次世界大戦が勃発し、ドビュッシー自身も病魔に侵され、心が半分病んでいる状態でした。希望が見え隠れしているがどうなるのか分からない、震災の時とある意味少し似ている状況かもしれません。ドビュッシーの心と響きが結びついて、混沌としたところがあります。

心は響きと表裏一体で、響きは音の線と点で織りなされます。ドビュッシーは点と点をつないだような曲も多いですが、この曲は点を使い過ぎず、線でアプローチしています。この点でバッハと関連性があります。フランス音楽とはとても感覚的な音楽だと思われがちですが、基本的にはバッハを基盤にした線の音楽です。ですから、ドビュッシーの曲は感覚的ではありますが、線が基にあり、それがポリフォニックに絡む多声音楽です。

来年はドビュッシー生誕150年で、世界中で彼の曲が演奏されるでしょう。万人が共有する、ある種の心の原点がドビュッシーの響きの中にある証ではないでしょうか。心は音楽においては響きです。響きの源は点と線の所在で、それこそが情景を作り、その音楽の持つ情景が響きの原点に集中して吸収されます。

先日、軽井沢大賀ホールでイタリアのピアニストであるミケランジェリが所有していたピアノを演奏することができました。このピアノは、ヴァイオリンで言うところのストラディバリのような名器で、響きにすごく特徴があります。スタインウェイ本来の持ち味がありながら、ピアノ自体に残響がある。本当にめったにない素晴らしい響きを持ったもので、私が20代にフランスで弾いたことのあるピアノとよく似ていました。響きとは不思議なもので、その響きに触れた途端、私は20代のそのころにタイムスリップしたような感覚に陥り、心の奥底に眠っていたものに出会えたような幸せな時空間を得られました。

東京文化会館の小ホールは最弱音から強い音まで明瞭に聴こえる贅沢なホールです。そこにある、スタインウェイのピアノは線が出しやすく、点描が線になりうる美しく完成されたものです。また、リサイタルが開催される冬はピアノも乾燥し、よく楽器がなるので透徹した響きが得られると思います。 響きを通して作曲家の心を表現することで、お越しいただいた皆様の想像力をかき立て、作曲家の情感と絶え間なく感応していただけるような演奏をしたいと思っております。

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